こんな記事を見つけましした。
「自分の葬儀は拒否」「夫(妻)や親の葬儀はしたい」 複雑な感情がくっきり 葬儀に関する意識調査 | ソナエ 安心のお墓探し
「自分の葬儀はしなくていいけれど、配偶者や親の葬儀はしたい」。お葬式とは「亡くなった人のためにする」ものと思われがちですが、残された人のためでもあるのです。
こんな記事を見つけましした。
「自分の葬儀は拒否」「夫(妻)や親の葬儀はしたい」 複雑な感情がくっきり 葬儀に関する意識調査 | ソナエ 安心のお墓探し
「自分の葬儀はしなくていいけれど、配偶者や親の葬儀はしたい」。お葬式とは「亡くなった人のためにする」ものと思われがちですが、残された人のためでもあるのです。
仏教に関する書籍をいろいろと紹介するページ、仏教書レビューのサイトが更新されました。
私の勤務先、浄土真宗本願寺派総合研究所が運営しています。毎月2冊ずつ、新たに紹介しています。
今月取り上げました『つながる仏教』は、仏教を現代社会に活かそうとする若手僧侶の思いが感じ取れます。『回峰行と修験道』は、仏教の修行の実態がわかります。
・井上広法・大來尚順・早島英観・松本隆行著、松原信樹・大竹稽編『つながる仏教 よりよく生きるブッダの教え、感じてみませんか?』(ポプラ社<ポプラ新書)
・楠淳證編『回峰行と修験道 聖地に受け継がれし伝灯の行』(法蔵館)
回峰行と修験道: 聖地に受け継がれし伝灯の行 (龍谷大学アジア仏教文化研究センター文化講演会シリーズ)
1月10日(火)、淑徳大学公開講座「すべては心の表れ-『唯識三十頌』を読む(2)-」の第7回(全12回)をしてきました。
唯識思想とは、「私たちの世界は、自分の心が作り出したものだ」という考えです。そう言われても、納得できる人はまずいないでしょう。これは、修行によって自分の心の在り方を観察していった結果として発見されたことなのです。心が作り出したのだから、実体が無い、すなわち「空」なのです。
その見方が身についている人と身についていない人で、ものの見え方が違うというのが、今回の話でした。たとえて言うなら、蜃気楼のようなものです。砂漠でオアシスが見えても、それが蜃気楼だとわかっていない人は、そこにオアシスが実在すると錯覚して駆けだして、かえって苦しむことになります。しかし、それが蜃気楼だとわかっている人なら駆け出したりしません。同じものを見ていても、見え方は違うのです。
次回(1月24日)は、唯識の思想が身についている人にはどのように見えているか、のお話をします。
初めまして。多田修(ただおさむ)と申します。この度、ブログを始めました。よろしくお願いします。
最初なので、まずは自己紹介。
・1972(昭和47)年生まれ、今年で45歳です。
・浄土真宗の僧侶です。
・浄土真宗本願寺派総合研究所]に勤めていて、そこの研究員です。
http://j-soken.jp/soken/7741/#a3j-soken.jp
・淑徳大学の公開講座で「すべては心の表れ―『唯識三十頌』を読む(2)―」を担当しています。
ext.shukutoku.ac.jp
・落語好きで、大学時代には落語研究会(いわゆる落研)にいました。
落語と仏教について講演することもあります。
dot.asahi.com
ginzasalon.tsukijihongwanji.jp
・落語のほかに、飛行機(民間機)も好きです。
どうぞよろしくお願い致します。