*今回は日本語だけです。
中島岳志氏の『親鸞と日本主義』(新潮社)を読みました。その感想です。
第二次大戦期、浄土真宗の教団は国家への忠誠を説いて、戦争を積極的に肯定していました。その根拠となったのは「真俗二諦(しんぞくにたい)」です。真俗二諦とは、真諦(仏法の上での真理)と俗諦(俗世間での真理)という二つの真理があって、その両方を守るべきというものです。一見、問題なさそうです。ところが、第二次大戦期の浄土真宗教団は、国家への忠誠を「俗諦(俗世間での真理)」と位置づけて、戦争を積極的に肯定したのです。このことへの批判から、現在の教団では真俗二諦を採用していません。
ただし、真俗二諦は親鸞聖人の思想ではありません。後世の教団で唱えられたものです。
ところが当時、教団とは別に、社会に影響ある人々(思想家、作家など)の中に、親鸞聖人の教えを根拠として、国家への忠誠を説いた人物がいたのです。彼らは、親鸞聖人の教えの熱心な信奉者でした。なぜ親鸞聖人の教えが国家への忠誠の根拠となったのか、中島氏はそれを明らかにしています。
彼らは、「自力を捨てて阿弥陀仏をより所とすること」と「自分でどうにかしようとするのではなく国家をより所とすること」を同じようなものと理解していたのです。だから、を分けて考える「真俗二諦」に批判的でした。
中島氏は「親鸞思想が必然的に日本主義化する訳ではない」(終章)と断りながらも「両者には、結びつきやすい思想構造が存在するようだ」(同前)と論じています。
しかし、私は中島氏の主張に全面的に賛成できるわけではありません。そもそも、親鸞聖人の著書を読むと、国家についてほとんど語られていません。だから、読み手が勝手に解釈する余地があります。勝手な解釈が極端な論を生み出すのは、どの思想にもあり得ることです。親鸞思想ならではの問題とは言えません。
とはいえ、「過去に何があったのか」を知ることは大切です。それを発掘した中島氏の労作は、高く評価するに値します。